Novel
しゅーっ、しゅーっと吐息の漏れる音がする。ひどく打ちすえられて体が動かない。丸坊主の黒衣が何事か怒鳴って、ぶうんと錫杖を振り上げるのを視界の端で見止めた。重い金属音がじゃらりと響く。あれでがつんとやられれば体がもたないだろう。明確な死が身を震わせる。祟ってやる、殺意と害意がその瞳ばかりぎらぎら輝かせる。どこの坊主だか知らないが、末代まで恨んでやろう。じきに自分の命は尽きるがこの男の顔だけでも冥途の土産に覚えておこうとぎしぎし軋む首をもたげて男を見た瞬間、鮮烈な赤が蛇の目に飛び込んできた。 紅輔というのはあざなだったような気がする、と目の前の少年が言った。少年といっても額から小指の長さほどの角が二本、にょっきりと生えているので見かけどおりの年齢ではないだろう。人の姿をして牛のような角を生やしているものなどそうそういない。鬼だ。それが何故か死にかけていた自分を救い、あまつさえ住処に連れ帰り怪我の手当てまでした。なんとも奇妙なことである。 体のあちこちに麻布を巻きつけた線の細い少年は胡乱な目つきでそんなことをつらつら考える。その向かいで自分のことを紅輔と名乗った赤髪の鬼はやはりなにか思い出すように腕を組んでうんうん唸っている。しまいには、やっぱりだめだと諸手を上げて後ろに倒れこんでしまった。ついでにごちんと岩室の壁に頭をぶつけてぎゃんぎゃん騒がしい。変わったやつだと溜息を吐いた。 「あざなでもなんでもいいだろう。私は、なぜお前が私を助け連れ帰ったのかと聞いたんだ」 ゆたり体を壁に預けた少年は金色の目を鬼にやって、涼しげな声を吐き出した。頭を押さえて顔をしかめていた鬼も、その声にひょいと顔を上げる。なぜ、って。そう小さく呟いた。 「そりゃお前、えっと……」 「葵だ」 「葵か、いい名だな。そう、葵が殺されかけてたからこれはまずいと思って」 つい飛び出してしまったと快活に笑うのに葵は渋面を作る。 「放っておけばよかったものを」 「そりゃだめだ、死ぬぞ?」 「見捨ててよかろうに」 「俺はごめんだよ」 灰色と金色が真正面からかち合って、先に視線を逸らしたのは葵だった。ふぅと呆れたように息を吐き出す。もうこの話は終わりだとばかりに痛む体を地面に横たえてひっそり目を瞑った。 「お前は余程のお人好しらしい」 「よく言われる」 からから笑うのには答えなかった。湿った地面が冷たさを肌に伝えて、葵は意識を放り投げた。 ひっそり静まり返った洞穴に穏やかな寝息が落ちる。傾く陽が長く斜に射し込んで、じき夜になるだろう、と囲炉裏でくすぶる火種に薪を突っ込んだ。じりじり燃える枯れ枝をこんこん突けばぱっきり真ん中から折れて、あかあかと熱い断面が現れる。それに枯れ葉だとか藁だとかを被せるとあっという間に火がつく。その上に薪を置けば、やがてゆらめく焔が立ち上った。 ぱちり、ぱちりと爆ぜる。暗い石壁に橙色の灯りがぼんやり跳ね返している。日は落ちて、まだ月は出ない。星灯りだけでは深い洞穴の奥にまで灯りが届かない。ひとつ、また薪を放り入れた。そうする振りをしてちらと葵を見る。病的なまでに白く細い肌も、今だけは赤く色づいて見える。 「助けた理由、か」 呟いて石壁に背中を預ける。さっき口にした理由も間違っていない。ただ、何故飛び出したのかを紅輔は口にしなかっただけで。 「言えるわけねぇよなあ」 ヒワの胸毛色をした瞳があまりに綺麗だったから、ではきっと納得しないだろう。殺意と激情で金粉を溶いた水よりも強く強く煌めくあの蛇の目に魅せられた瞬間に、紅輔は無我夢中で坊主を殴り倒していたのだ。 紅輔の背が低いので頭までは拳が届かない。代わりに無防備な脇腹に思い切り肘を叩きこんだ。人の肉のぶよぶよした弾力ばかり伝わる。骨は折れていないだろう、命に心配もないだろう。 痩せこけた坊主は何が起きたかもわからぬうちにぶくぶく泡を吐いて倒れてしまったので、紅輔はほっと胸を撫で下ろした。けたたましい金属音が岩にぶつかり耳を打つ。遊環がじゃらじゃら言いながら転がって止まった。 「大丈夫か?」 もはやぴくりとも動かない白蛇の姿に、もしやとっくに命が尽きてしまったのではないかと紅輔は慌てる。手当てしなければ、安全な場所に連れて行かねば、そっと手を伸ばす。 と、しゃあっ、と威嚇するように蛇が叫んだ。思わず出した手を引っ込める。ぱちりと瞬いた一瞬に、蛇の姿が消え、代わりに線の細い少年が現れた。 「触るな……!」 刃物のような殺気を黄金の瞳にぎらぎらと漲らせて少年は呻く。強い警戒心は正しく手負いの獣のそれ。痛々しく傷ついた四肢はがっしと地面を掴んでいる。伏せた体躯。細い指が柔らかい地面を何度も引っ掻いて土に塗れる。 「お前、もののけか……?」 「だからどうした」 「いや、どうしたっつっても……」 ただの蛇だとは思っていなかったが、まさか人化までできるとは。余程名のあるものらしい。紅輔は改めて蛇を見た。人になったことで赤黒い痣が腕や頬に浮かんで痛々しい。ぱっくり裂けた皮膚からどろどろ血が流れて、青い衣にじわじわ滲みているようだ。 「助けてくれたことには感謝する、さっさと去ね!」 「全然感謝してねーな……お前、その怪我じゃ動けねーだろ? 手当てするから、ほら」 もう一度手を差し出すも、変わらず視線は厳しい。喉の奥で唸るような声がする。 「ほら、掴まれってば」 「いらん」 蛇がぐぅと伸びをして、喉がぶるぶる震えるのを見る。なんとか自力で立ち上がろうともがいているらしいが、体を碌に起こすこともできずどちゃりと土に塗れる。金色の目玉が目蓋の裏に隠れて、小さく苦痛の声が漏れた。見てられない、と紅輔は大股で蛇へと近付く。何と言われようと知ったことじゃない。 「あーもーいいから!」 「何をする、貴様……っ放せ!」 口からは気丈な台詞が飛び出すが、痣の浮かんだ腕を掴めばぎゅっと顔を顰める。やっぱり痛いんじゃねーか、と紅輔はその細腰を持ち上げて肩に担ぎあげた。 「いいから、俺に任せろ!」 「できるか、下ろせ!」 ぎゃんぎゃん耳元で騒ぐも動く力がないのは確からしく体躯はぐったりとして力が入っていない。山の斜面を駆け上り、背の高い草を掻き分けて、寝食を過ごす岩室へ蛇を連れ帰って簡単な手当てをしたのが今朝方のことだ。 ぱちぱちと爆ぜる音を聞いているうちに、今日のことを思い返しているうちに眠りこんでしまったようだ。気がつけば随分火が小さくなっている。枯れ枝をいくらか掴んで、灰の中に入れこむ。ばちん、乾いた音が大きく鳴った。視線を上げると、ちょうど火の向うでもそりと人が動く気配がした。 「ん、起きたみてーだな」 紅輔の声が大きく響く。しぱしぱ瞬くと目玉の上に張った水膜がぱちりと壊れて、視界が開けた心持ちがした。暗い洞穴内を炎がぼんやり照らしている。 露の匂いがする。夜明け前の匂いだ。 「ほら、食えよ」 ひょいと手渡された赤い物体をしげしげ眺める。見たことのない形をしている。すん、と匂いを嗅ぐと果実のような甘酸っぱさが肺を満たした。 「毒じゃないだろうな」 くるりと裏返すと目のような白丸が大きくなった。生きているらしい。思わず顔を引き攣らせる。目の下でもごもご動いているのはもしかしなくても、口か。 「大陸から入ってきた人面樹の実だよ。俺らにはいい滋養になる」 真正面から食べるのはなんとなく憚られて、目の横から口づける。歯をたてる。しゃり、と一口齧るとウワァアアという微かな果物の悲鳴が聞こえてやっぱりなんとも言えない表情になった。 「気分が悪くなる果物だな」 「でもうまいだろ?」 「まあ」 甘みのある水菓子は喉を潤すのにはちょうどいい。ごくりと飲み込むと冷たい果肉がつるりと滑って、胃の腑へ落ち込んでいった。二口、三口と進めるうちに、清涼な光が斜めに洞穴の中へ射してくる。夜明けだ。 稜線に沿って白く柔らかな光が姿を現す。じわりと真円が滲むように空の中心へと広がっていく。そうして朝になったと思ったら、てっぺんで赤々と燃えた、その色のまんまぽつんと落ちて行った。夜になった。そういうのものが三べんも続いただろう頃に、ようやく葵は体を持ち上げることができるようになった。それでも万全とはいかない。 また赤い日がのっと地平から顔を出す。決まった軌道を飽きもせずのろのろとなぞって、また行方をくらます。代わりみたいに白っぽい月がその背を追いかける。同じ事が四度繰り返されれば、葵は立ち上がって歩くこともできるようになっていた。 「おー、さすが。水の怪は回復が早いな」 がらんがらん、と薪を地べたに置いて、紅輔は快活に笑う。夜明けに起き出し、どこからか獣肉や魚などを獲ってきては手ずから捌いて葵にも差し出す。最初こそしぶしぶ受け取っていた葵ではあったが、それも二晩ほどすれば慣れた。てらてらと赤い生肉をつるりと飲み込んで、向かいで火を扱う紅輔に礼を言うのが通例になりつつある。 「そろそろ蛇に戻っても差し障りはないはずだ」 人の身よりも細く長い蛇の体は、少々頼りなげである。骨も皮も薄い。鱗こそあるが、それも打ち据えられた痛みには意味がない。 それでも人の身はひどく不便だ。蛇とは違い発声もでき、手足も動かせはするが、地を這うのにも餌の匂いを嗅ぐのにも不都合である。 一人で生きるのにあまりにも人間というものは脆弱な作りをしていた。 「……世話になったな」 掌を向けた細い指をやわく握っては開く。仔細問題なく、これ以上ここに留まる理由もない。長い水髪を背に垂らしてすっと立ち上がれば、ぱちりと驚いたような黒目がこちらを見た。 「なんだ、その目は」 「いやあ、出ていくんだなーと思ってな」 そういえばそうだった、と腕組をしながら言うのに、何を今更と呆れたような声が言う。鬼である紅輔がこの洞穴を領分としているように、葵にも自分の領分というものがある。そこらの獣などに荒らされればひどく不快であるし、年月を経たもののけなどが、葵の留守を嗅ぎつければたいそう厄介なことになる。 「人でもあるまいに、おかしな奴め」 ふと嘲笑うように吐き出した息が、薄暗い洞穴に満ちた。人の言う情念なぞ蛇にはわからぬ。誰だったか、蛇は嫉妬深い女が成ると言った者がいる。道成寺まで逃げた僧がそれでひどい目にあったという。確かに積りに積もった澱のような感情から成るもののけもいるが、それこそ人とは程遠いなりをしている。 目の前の少年は確かに鬼に見えた。ちょいと飛びだした二本角が短い前髪を押し分けて、誤魔化しようのない異形を現している。 今一度、おかしなやつ、と呟いてふらと洞穴から足を踏み出した。久方ぶりの日光に目を細める。皮膚にうっすら浮かんだ鱗がちかちか光を跳ね返した。 「行ってしまうのか」 影になった、黒い瞳はどこか寂しげだ。それに不思議な色を感じ取った葵は訝しげに首を傾けた。傾げるのに合わせて涼やかな色をした髪がさらりと流れる。 「……受けた恩は、返す」 ひょっとして恩知らずだと思われているのではないか、それは心外だと口を開くも、そうじゃないんだと少年は首を振る。短い赤髪が軽く揺れて、影になっていた瞳がしっかとことらを見る。 「では何が……」 と、言いかけた言葉は、突然の轟音によって遮られた。 雷鳴でも轟いたかはてさて天狗つぶてでも降り注いだか、耳をつんざく轟音が背骨を伝ったと思ったらさっと頭上に影が差す。仰いだ天は、ひたすら影。ひゅっと喉が鳴る。咄嗟に体が強張る。砕けた岩が落ちてきているのだ、それを理解したのは言葉もなく葵の体躯を遠く突き飛ばした紅輔の、声ならぬ声が岩の雨に潰された後だった。 「こうすけ」 突き飛ばされた格好のままへたり地面に尻をついて足を右に流す。いかにも重たげな、ごろんと転がる岩が少年の上にいくつもいくつも積み重なっていた。 岩の下から辛うじて赤髪が覗く。ぴくりともしない指先に、呼吸すら止まりそうになる。助けられた。それも、二度目だ。 岩肌は冷たく、そして固い。おそるおそる手を伸ばす。岩肌を引っ掻く爪がひどく心許ない音をたてた。 ちっ、と頭上から聞こえた舌打ちに、ずるりと葵は鎌首をもたげた。陽の光を跳ね返してぎらぎら輝く金の瞳がぞっとするほど据えた目で崖の上を見る。黒い衣の坊主が、じゃらりと錫杖を突き立てて憎々しげに葵を見下ろしていた。数日前、葵を強かに打ち据えたあの男だった。 「貴様」 復讐とでもいうつもりなのだろうか。それに思い立った途端、地を這う重苦しい声が肺を絞め上げ音となる。顔が歪むのがわかる。 腹の奥が底冷えするように冷たい。何か真暗なものでも呑み込んでしまったかのようにごろりと喉が焼けた。 「もののけ風情が」 もののけ風情が。たった一言に坊主の憎悪がありありと見てとれて、葵は長く息を吐き出した。胃の腑をせり上がるひどい熱がじくじく胸を爛れさせながら喉を過ぎ口腔から吐息となって出ていく。人間の、坊主風情が。内に溜めこむ瘴気がぞろり顔を出して、葵は男をぎょろりと睨めつけた。 「高慢な坊主が、我こそは幾百の時を生きし水の怪なり! 神性を得てミズチとならんとすれば、貴様の無礼な振る舞いに妨げられたり。この期に及んで未だ無頼であるならば、其の命をもって贖うがいい……!」 言うや否やめぎ、と皮膚が膨れ上がった。うっすら浮かんでいた鱗の文様が実体をもって皮膚の外に浮かび上がる。這いつくばった四肢から伸びる骨と皮ばかりの指に、まろく曲線を描く獣の爪が突きでている。小さな桜色をした口は大きく裂け、白練の牙がぞろりと歯肉を押し退けて並ぶ。胴は蛇の如く長く、しかし生えた四足が蛇ではないことをものがたる。 人の世に伝わる、龍の姿がそっくりそのままそこにあった。 うねる白鱗。ぎらぎらと輝く黄金の瞳は憎悪に強く染まり、がちがち鳴る牙の間からは毒気が呼気のように漏れ出している。 ひぃ、と男の喉から引き攣れたような悲鳴が上がった。 「貴様のような小物など、ひと呑みにしてくれる」 ぬう、と立ち上がれば男の立つ地面になど簡単に届く。そればかりか長い胴をうわんとしならせて男の禿げ頭を覗き込むことも容易だ。げろりと吐いた毒気に当てられたように男は一度身を震わせて、それから慌てて逃げ出した。 があぁと吠えた龍は白い鱗で覆われた胴をくねらせて積み上がった岩を蹴散らし宙を駆ける。牙を剥き出しにした大口が男のすぐ後ろに迫る。先程までの威勢はどこへやら、情けない声を上げて走る坊主はこけつころびつ、ほうほうの体で山を下った。あのぶんでは二度とこちらに手だししようなどという気はおこるまい。ぎらぎら輝く目玉が逃げる男の背中を見つめて、それが見えなくなってからふいと葵はそっぽを向いた。 灰褐色の岩がごろごろ落ちている。いくらかは蹴散らしたものの、あの坊主余程執念深かったと見えて、まだ紅輔の姿は見えない。 長い体躯でごろりと大岩を除ければ、ここ数日ずっと見てきた赤髪が現れる。息があるのを確認して、するりと白い面を寄せれば、僅かに呻く声が返ってきた。 「葵……?」 「ああ」 かふりと空気を食みながら言う。しゃらしゃら鳴る微かな音が、まるで薄い水晶の板でも擦り合わせたように聞こえる。体をくねらせるたびに龍の鱗がぶつかる、静かな音色が耳をくすぐった。 「蛇じゃなかったのか」 「水のものは長い時を経ると龍に転ずる」 ただそういうものだ。それだけのことだ。長く使われ続けた道具に意思が宿るように、古木に木霊が在るように、長く長く生きた命もあやかし変化と呼ばれなにがしかの力を得るに至る。 猫の尾が二股に分かれるように、淵に棲む魚がおいてけと言うように。 「……完全な龍には、なれなかったが」 目はぎらぎら光り、胴はずるりと長い。どこからどう見ても書物に描かれる龍そのものだというのに、どこが完全ではないのだろう。 ぼうっと宙を見上げる。岩の下敷きになっていた痛みはゆるゆると引いていっているのでそう辛くもない。龍の姿を見ているうち、だんだん輪郭が崩れていくのに気がついた。はっと目を剥く。 「人化ができるということはある程度の変化ができるということだ。神性を得た今なら龍化も容易いが、根本から龍に変じたわけではないから形を保てん」 言う間にもさらさら砂が落ちるように龍は形を崩していく。四肢が崩れ、とさりと落ちた砂山がいきおい宙に煌めきながら四散する。 「やはりこちらが楽だな」 龍よりずっと小さな、見慣れた少年の姿がそこにあった。紅輔はほっと息を吐く。ひょっとしたら、砂になって全て崩れなくなってしまうのではないかと肝を冷やしたのだ。 「なんだ、その情けない顔は」 人の身となった葵が脇に膝をついてぺしりと額を叩くと、いてっと笑う。それからおもむろに片手を上げて、骨ばった背から垂れる青い毛先を掬い取った。 「この地は鎮西の地と言われてる。ものやひとが行き交う場所だ。そのせいかな、流れ者ばっかりで誰もひとところに留まらない」 山奥でひっそり暮らす紅輔にとって、十年は一年にも似て、百年の歳月も気がつけば過ぎ去っていってしまうようなものでしかない。塵界は目まぐるしく、あまりにも長い時間をそうして過ごしてきたものだから、すっかり一人に慣れきってしまっていた。 それでも、気紛れにも似た感情で葵と過ごしたたった数日が、気がついた間に過ぎていく何十という年数よりずっと長く感じられたのだ。 「葵が出ていく時、寂しいなんて思ってな」 なるほど、あの薄ぼんやりした視線は寂しさに彷徨っていたものらしい。 ほうと息を吐く。森閑とした木々の中、鮮やかな青と赤ばかりが目を引く。木々でさえ息を顰めるほどの静寂に、吐息にも似た声が漏れた。 「言っておくが、私はここに留まりなどしない」 当然の答えだ。それは予想していたらしく、紅輔もそう落ち込んだ様子はない。 「ただ、まあ……時々顔を出すくらいはしてやらんでもない」 あからさまにぱっと顔を輝かせて起きあがろうとする紅輔を制して、長い付き合いになりそうだと一人笑みを零した。 |