Novel
橙矢を檻の家から救い出して暫く、考紫は日に日に橙矢が弱っていくのを感じていた。ただでさえ日に当たることなく白い肌は紙のようになり、血色の悪さは誰の目にも明らか。 拠り所から無理に引き剥がしたのがいけなかったからか。弱った考紫が相談したのは、やはりあの天狐だった。 睡蓮の咲く池で、狐は一人静かに花を愛でていた。供も何もつけず、突然訪ねてきた孝紫に驚いた様子も見せず、ただ薄紅を唇に刷いてゆるく笑んでいる。 「睡蓮が好きなのか」 水面にひたひたと頭をつけた花は外から内へと目を覚ますように色づいている。切れ目の入った緑の楕円が力なくその身を水に委ねている。こんなしおらしい花が好きな奴だったか、と首を傾げるも、その疑問は本人の口からあっさり解決された。 「いえ。睡蓮は、黒ノ介が好きなもので」 なるほど、と頷く。あの敬虔な黒天狗らしい好みだ。何もかも水で溶いたように薄らとした色で揺蕩う睡蓮はまだ朝靄のかかる空気に微睡んでいる。 「それで、本日は何のお話でしょう」 どうせ何かまた困りごとなのでしょうと心のうちを読み当ててくる琥珀に孝紫はむっと唇をひん曲げた。それはその通りなのだが、先行きを読まれるのは少々癪なのだ。 「お前がだいたい想像している通りのことだ」 「座敷童の子ですか。そろそろ力尽きる頃だと思っておりました」 やけに整った横顔が涼やかだ。何もかも自らの掌の上と言わんばかりに言葉を繰る狐に、孝紫は一瞬眉を顰めた。 「読んでいたのか」 「様子を見るべきだと思いまして」 悪びれもせず言う。隠しもしないふさふさとした尻尾がいかにも楽しそうに穂先を揺らしているので、その言葉が本当かどうかも怪しいものだ。 「だって、ねえ。怖いじゃないですか。そんな化け物になる寸前のこども」 人間の一番強い欲に害されて死んだ子供。そんなものを置いておいて、いつ何が起きるともわからないっていうのに大丈夫だと言い切れるほど琥珀は自信家ではない。そもそも狐というものは慎重で疑り深い生き物であるのだ。同じ獣といえど狼ほどに大きくもなく強くもないもので。 「あいつは大丈夫だ」 だから、そうはっきりと断言する狼に苦笑しか出ない。まだ獣の色を濃く残すこの少年は、鼻がきくというかなんというか、感覚的な判断をよく好む。そうしてそれが外れたことがないのがまた琥珀にとっては悔しいところだ。 「貴方は本当に、あの子に甘いですね」 お前こそ、という言葉は胸のうちに閉まっておく。沈黙は黄金よりよっぽど尊い。 朝靄の水気を孕んだ空気を摘み取って、静かに立つ少年は、家のものは家に帰しましょう、とこともなげに言葉を吐き出した。 その昔、時代で言えば徳川の狸が世を太平に治めた頃。偶然外に出ていた城主の前に人の背丈をゆうに超える狼が出て、おそろしい声でこう言ったのだった。 「お前が城主に相応しき者ならば福をもたらす神が、そうでなければ禍がお前達に取り付くであろう」 ぼつぼつと病痕の開いた薄雲に金月が浮かぶ夜だった。 ぬるい空気が肌を撫ぜる気持ちの悪い宵闇。供の誰もがその巨躯を見るだけでもののけだ化け物だと騒ぎ立てる中、城主だけは音に聞こえた剛の者であったので狼の言葉を鼻で笑い罵った。 「禍とは貴様のことであろう。失せろ化生が」 狼の瞳は地に愚直な満月より尚濃い茜。重苦しく吐いた息は獣臭く、黄色かかった牙が剥き出しになって城主らを見つめている。 殺される、とまで覚悟を決めた供らの予想を裏切り、狼はふんと鼻を鳴らしただけで尾を揺らしそっぽを向き暗い木々の間に姿を消した。後に残るは重苦しくざらざらとした声ばかり。 「忠告はしたぞ。忘れるな、お前に憑くのは禍福である」 ばたばた、夜にも関わらず羽搏く鳥らが恐れをなしたかのようにひとつ、ふたつと逃げていく。紅玉の瞳がいつまでも宵闇で燃えているようで、供する男はぶるりと身を震わせた。 「お館様」 「化生の言葉を真に受けてはならん。気にするな」 「へ、へえ」 馬を進ませる城主に遅れてはならぬと供らは慌ただしく轡を引き、馬の尻を追いかける。遠く、遠くでこだまする狼の遠吠えが不気味に耳の奥にこびりついていた。 「開門、かいもーん」 それから一刻も立たぬうちに、数名の供を連れた城主の一行は城の巨大な木戸を潜って馬を広い中庭に進めていた。正確にはわからぬが、子の刻といったところであろうか。それでもまだ中庭には煌々と灯りが点り、松明の火があかあかと燃えておる。 「なんじゃ、慌ただしいな」 子の刻ともなれば女中はとっくに寝入って、見張りの番が門の前で直立不動の姿勢をとっているというのに、この夜に限って妙にざわざわとしている。生温い空気が焚かれた松明によって熱を受けている。それが火照るような温度になって、女中やら臣下やらにも伝播しているかのようだ。 何事か問えば、恐縮した女中のいくらかが城内で怪事が続いているのだと口々に訴えはじめた。それが恐ろしくて恐ろしくて皆ざわついておるのだと。 「誰も使っておらぬ奥座敷から物音がするんでございます」 恐れながら女中が語った顛末は、ひどくまがい物じみた、怪談じみた出来事だった。 誰も使っていない奥座敷から物音がする、と言い始めたのは女中仲間のうちでも一番年若い娘だった。平山造りの奥の奥、土塁や竪堀に隠されたようにしている一の城の、小奇麗にされた部屋のひとつでことんことんと奇妙な音がしているらしい。 その程度で情けない、と女中頭が言うも音が不気味であるのは誰にとっても同じである。誰が行こうか、嫌あんたが行きなさいよ、だのああだこうだ言いながら数人で連れ立って怖々と部屋を覗いてみると、そこにおったのは幼い子供、たった一人だけだった。 「あんれ、誰の子かしら」 明るい赤毛の子供がたった一人で、いかにも楽しそうにお手玉やら鞠やら持ち出して遊んでいる。明り取りの窓さえない小部屋がうっすら明るいのも奇妙だったが、それよりただの子供だというのが女中らに安心感を与えた。 さては誰か子を連れてきたなと聞いて回る。てっきり誰かがばつの悪そうな顔をしながら子供を連れ出すのだと思っていたが、誰に聞いてもそんな子は知らぬという。そのうちに言いだすには、誰の子供でもないのならば城下の子が入り込んだのではなかろうか。 城下の子がどうやってこんな奥座敷に誰も知らぬ間にやってきたのかはさっぱりわからぬ。わからぬが、それが一番もっともらしい答えのようで、女中らはなるべくいかつい顔をした武人に子供を追っ払ってほしいと頼んだのだった。 城にいつの間にか入り込んで遊んでいるような厚顔な子供であるから、自分達じゃあ役者不足。だからどうか行ってくださいな、と頼まれれば武人も嫌な顔はしない。大きな体を左右にゆすりながら、のっしのっしと奥座敷に向かって歩を進めた。 日の当たらぬ廊下は、どうも妙に肌寒い。それでいて曇り空の日のように妙な薄暗さが漂っている。一歩足を進めるごとにじわじわと肌に染みてくる悪寒に、武人はぶるりと身震いした。 なんてことはない白い襖の前に立つ。引手の底に指をかけて、襲いくる寒気を打ち払うように勢いよく開いて思い切り声を出した。 「この餓鬼が、出ていかんかあ!」 畳敷きの部屋の真ん中、灯りもない薄暗い中に女中が言う通り子供がちょこんと座ってお手玉をくるくる回している。それが武人のいかつい顔と突然の大声に驚いたように固まって、赤やら青やらの端切れでできたお手玉がぱさりぱさりと畳に落ちた。 常盤の緑色をした目玉が大きく見開かれている。ここらでは見ない色の目玉だが赤っぽい髪色と妙に似合っている。珍しい髪色目色のくせに着ているものには継ぎ当てひとつなければ汚れてもいない。まるで良家の坊ちゃんのようにこざっぱりしている。もっと小汚い小僧を想像していた武人は、なんだか拍子抜けしてしまった。 子供は驚きすぎて声も出ないのか、飴玉みたいな目玉をぱちぱちさせるだけでほんの少しも動こうとはしない。鞠だとか独楽だとか、女が好きそうな鮮やかな端切れのお手玉だとかがちらほらと散らばって、武人はふと首を捻った。捻りながら部屋に入ろうと足を浮かせた瞬間、子供のおさない声が部屋の空気をささやかに震わせる。 「……出てっていいの?」 奥座敷はそれっきり、静けさにのみ支配された。 こどもの緑がちな瞳が仄かに揺らめいている。妙な雰囲気に押され、つとこめかみを伝い落ちる冷や汗に気付かぬふりをしながら武人が「勿論だ」と押し殺した声で答えれば、子供はにっこりと笑んで。 最初から誰もいなかったかのように空に掻き消えてしまった。 ひっ、飛び出しかけた声をなんとか抑えて辺りを見回す。どこにも隠れることのできないただ真四角なだけの空間に、子供が遊んでいたお手玉やら鞠やらだけが転がっている。子供の姿はどこにも見えず、武人はとうとう入ること叶わなかった室内におそるおそる足を踏み入れた。 窓もない座敷はどうも湿っぽく死人の肌に似た温度であるようだ。 真ん中に散らばった色とりどりの玩具。綺麗な刺繍の鞠や、朱色に漆にと塗り分けられた独楽や、上等な端切れのお手玉やらはどう考えてもただの子供が持つには相応しくない。 あれは一体なんであるのか、顔を青くしながら畳に転がる鞠を手に取ると、うぞりと何かが動いたようだった。 掌に何か、細かいものが引っかかる感覚。蠕動する何かが鞠の中を這っている、そう知覚した途端に白いものがぽとりと床に落ちた。鞠から落ちたらしきそれについ目を遣る。白く、楕円で、てっぷりと肥えた、それは。 蛆虫。 「うっ、ひ、ひいぃ」 そう視認した直後に掌にうぞうぞとした感触が伝われば、蛆虫が這いまわっているのだろうと誰だって連想する。想像はほんの少しだって間違ってはおらず、落とした鞠からは小さな蛆らが白い腹をくねらせながらいくつもいくつも生まれだす。 落として転がる鞠が蛆をばら撒き潰される蛆が白い体液とぷちゅりという粘ついた音で絶命する。青臭い畳の匂いと腐りかけた死の匂いがむっと鼻をついた。次いで腕にざわつく感触。か細い脚がいくつもいくつも肌を擦ってきしきしと音をさせている。思わず叩き落とせば、関節を軋ませながら蠢く百足の無感動な目が武人を見上げていた。うぞり、鞠の転がっていった暗がりに蟲らがざわめく気配がする。 暗い部屋の奥に転がって行った鞠があまりにも恐ろしく、武人はわけのわからない声を上げながら開け放った襖もそのままに逃げ出してしまった。 「なんぞ、声がしよる。誰が騒いどるのかしら」 声を聞きつけた女中の一人が訝しげに奥座敷を覗けば、そこにあるのは静かの昏ばかり。まだ青々とした畳と、湿っぽい空気と、暗い壁とそれだけがある空間にはほんの少しだっておかしなところはなく、あれはどうしたことだろうか気でもふれたのだろうかと首を傾げてみればふと何かが視界を過ったようだった。 青白い何かである。陰の火の色をしている。突如として体の芯から持ち上がった怖れに、深く呼吸をしながらそちらへ首を向ければ、見間違いなどではなく青白い炎がめらめらと空中に漂っているのだ。 ひぃ、と引き攣れた声を上げると炎はゆらりと焔の先を閃かせる。後ろに足をもつれさせればそのまま体勢を立て直すこともできず尻餅をどたりとついてしまった。引っ掻くように爪の先端をなんとか襖の縁に掠めさせて、この不気味な室内を切り離してしまおうともがいた。 青白い炎が襖の向うに消えてしまって、女は大きな大きな安堵の息を吐き、ちょうど通りかかった年嵩の女中にこの奥座敷にもののけがおることを切に訴えたのだった。 それが半日ばかり前のことであるという。怖がって誰も近寄ろうとしない奥座敷、これこそあの狼が言っていた禍ではなかろうかと城主は恐れおののく女中に、件の奥座敷はどこであるかと問うた。 くねくねと長く暗い廊下を歩く。丑の刻も近づいた頃合いであるからか、月の影さえほんの少しも差しては来ずところどころに立てられた行灯の重苦しい火ばかりが頼りだ。 白く浮かび上がる襖にはなんら変わったところもない。他の座敷と比べるまでもなく、ただの襖であるとしか言いようのないこれに、しかし女中が恐れに顔を俯けているのになるほどとひとりごちて、城主は自らの名乗りを上げ、失礼いたすと声をかけた。 応えはない。 暗闇にほの白く浮かぶ襖が、ことり音をたてたようだった。女中がとたんに身を竦めるのに溜息を吐き、襖に手をかけゆっくりと開け放った。 行灯に照らされた廊下より一層暗い部屋。足元さえも見えぬ暗がりは、廊下の灯が照らすほんのわずかな畳の目に足をついてしまえばそこから先は一歩さえもゆけぬ。 押し殺した呼吸に実体のない蛆やら長虫やらが城主の脳裏をずりずり這い回る。何もないかもしれない暗がりに、何かあるかもしれない闇が沈殿している。 呼吸をいく度か。冷たい空気が肺腑にそっと重なっていくのを確かめるように、ぽ、と青白い火が暗がりに点った。 焔がなんでもない板張りの壁を照らし出す。いくつもいくつも重なるそれは、やがて座敷の真中にちょこんと座る子供の姿を照らし出した。 子供である。ただの子供であるように見える。赤みかかった髪色だけ妙といえば妙だが、少なくとも角があったり獣であったりということもない。ぼんやり明るくなった部屋に踏み込んでみれば素朴な声が聞こえてきた。 「ちにれ ちにれ ちにれ ちにれ ちにれ ちにれ わんわんさんが くっど ちにれ ちにれ よかど よかど ちにれ ちにれ」 微かに聞こえる声は寝させ唄か。鞠を手の中で遊びながら、おさない声が赤んぼ眠れと語っている。 赤子よねむれ、ねむれ、ねむれ、ねむれ ねむれ、じゃなきゃこわいものが来るよ、ねむれ ねむれ、よいこよいこ休んでいいから、ねむれ、ねむれ 「……」 城主は無言でこの子供の前に膝を折った。 胡坐をかいたところで大人と子供、自然子供を見下ろす形になる。子供の赤というより橙に近い髪が暗がりに明るく浮かんで見える。それに対し行の形で深々と頭を下げながら城主は仰々しく言葉を紡いだ。 「当代の城主を務めておる者でございます。此度はいかなる用向きで」 青白い火が視界をちらちらしているのがわかる。背中に冷や汗をかきながら城主はこの子供の形をした怪異がどのようにするのかを待った。 静かである。呼吸さえ止まる静けさの中、おさない姿がこちらは端座をして小さな指を畳についた。 「本日は、福を授けに参りました」 子供じみた声の中身は、存外しっかりしていて、それでいて噂の怪事とかけ離れたものだった。顔を上げた城主は不可解さに首を傾げる。禍をもたらすものではなかったのか、この子供は。 ですが、と次に投げられた声がその疑問に答えを出した。 「貴殿の家臣に出ていけと言われ福を授けることができなくなりました」 福と厄は表裏一体。祀られぬ福はそのまま厄となり人々に牙を向くのだと、誰だったか巫の言葉が蘇る。それがこうも判然と目の前に現れておる。もはや疑る余地なく城主は目の前の子供に敬意を示し改めて頭を垂れた。 「家臣の非礼は主たる我の非礼。代わってお詫び致そう。あなたをもてなすにはどうしたらよいか」 こどもは全くもって子供らしくない目をして、まるで城主を我が子でも見るかのようにして言う。 「貴殿は良い城主のようです。私の名を書いた木の人型を城の縁の下に埋め、この奥座敷に私が住まうをお許しください。さすれば私は再び福の神としてこの城、ひいては貴殿の領地に福をもたらせるでしょう」 「忝くも、その申し出お受け致します」 ぼ、と遠くからひとつづつ炎が潰れたようにして消えていく。だんだんと光量が減ってぼやけていく視界に、神妙な顔をした子供の姿も溶けて見えなくなっていく。 「名は、橙矢と」 それだけを最後に、子供の姿も青白い火の玉も全てがすっかり消え去って、城主はただ真暗な四角い箱の中に残された。だというのにそこには当初踏み入ることさえ躊躇わせた恐ろしさなどほんの一辺も漂ってはおらず、安寧としたぬるい空気ばかりがある。りぃ、と訳知り顔の鈴虫の声がして、城主は長く長く息を吐き出した。 橙矢の名を埋め、部屋を与えられて、それでようやく孝紫も琥珀もほっと息を吐いた。上手くいったらしい。馬鹿でかい図体の獣が二匹、揃って城の裏手に身を隠しているとは誰も思うまい。 「これでひとまずは安心でしょう」 黄金色の尾を振って、狐は自らの周りに青白い火をぽっと浮かべた。燐火の燃えては散る儚い焔に狼はくあと大きな口を開け空気を食む。 「孝紫さん、琥珀さん!」 暗い木々の間からおさない声が名を呼ぶ。繁みの間から小さな頭がひょっと飛び出して、自分より何倍も大きな獣らに駆け寄ってまた名を呼んだ。 「よくがんばりましたね」 「はい、がんばりました」 なるほどてらいなく慕ってくれる子供というものは可愛いものだ。おまけにしっかりしている。このぶんでは城主への言葉も琥珀が教えた通り一言一句違うことなく、神であるとの威厳たっぷりにおどしつけられたことだろう。 「孝紫さん」 自分に矛先を向けられて巨躯の狼はなんだと言わんばかりに尻尾をぱさりと振った。それ以上の表現の発露をしないのはどう反応したものかわからないせいだと橙矢は知っている。ただ不器用で無口なだけなのだ、このひとは。 「ありがとうございます」 深々と頭を下げる。するとこの狼は目を細めたままくるる、と喉を鳴らして頬を寄せた。柔らかな紫の毛がくすぐったくてくすくすと鈴のように子供は笑う。ふさふさとした獣の顔に擦り寄って嬉しいのだと全身で喜びを表す。なるほど言葉よりずっと得意だろう。 そのあまりに獣らしい慈しみの発露に、人間めいた表情で狐はくつくつ笑った。なんにしてもこれで万事上手くいったのだ。何を喜ばないことがあろうか。 「ああ、よい月の晩よ」 金月はすっかり満ちて、満足気に輝いていた。酒でも酌み交わしたいような夜に、子供が月が欲しいと強請った日も、ひどく恐ろしくなって泣いた日も。これまでの全てをすっかり飲み込んだ色で月が佇んでいた。 橙矢は座敷童である。奥座敷に住まうものだ。故にその棲家は日向にあるそこそこ名のある大名の、室町時代ほどに築かれた平山城の奥座敷であった。 大妖怪と称される亀姫やその姉妹の長壁姫などとまではいかないが、城の者達にひそひそ囁かれる程度の怪異と霊威をもって橙矢はその城に住まうておった。 |