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閑話・三傑

それは醜くくしゃりと歪んだ子どもに見えた。
着物はぼろぼろでみすぼらしく、髪も脂と血でべっとりと汚れ。思わず顔を顰めてしまいそうに痩せ細った、餓鬼か何かと思しき子ども。それを連れ帰った我らがご主人は、突然自分にその子供を押しやると「世話をしろ」と言い放った。
「世話を? 自分がですかい?」
「ああ。見れるようにしろ。今のままではあまりにみすぼらしいからな」
一方的な命令。だがそれに逆らうという選択肢は残されておらず、フードを目深に被った青年は大きく溜息を吐いた。
「名前は」
「知らぬ」
「人間ですかい、それともあやかしですかい」
「さて、どちらだろうな」
二度目の溜息。それも心の底からの。
「わかりやした。そこな餓鬼、自分についてきておいでなせえ」
「うむ、よろしく頼むぞ」
鷹揚に頷いた主人の後ろ姿を見送って、ひょうすべの千草はさてどうしたものかと頭を抱えた。みすぼらしい餓鬼を見れるようにしろとのお達しだ。
「ひとまず、名前を聞いておきやしょうかね。あんた、名は?」
「桃、ですわ」
「これまた名前もみすぼらしいですね」
ふ、と笑う。声からすると少女のようだ。桃ねえ、桃。
「桃じゃつまらないですね。それに昔の名前をそのまま使うんも縁起が悪い。そうですね……華やかな桃、桃華ってえのはどうですか」
子供はそれを聞いてもぞりと体をよじらせた。
「少し派手ではありませんの」
がさがさとした声だが、言葉遣いからみれば育ちは悪くない。ふむ、と千草は頷いた。
「なに、これくらい派手な方がいいんでさあ。ほら名前が決まったなら、湯あみしておいでなせえ。向うで不知火の野郎がかっかしながら待っておりますからね」
ぽいっと少女を放って、自分は再びあの無責任な養い親のところへ行かねばならぬと溜息を吐いた。まったく無責任め。
青年ら一派がねぐらにしているのは、筑紫洲の中央に位置する山の山頂付近である。すっかり信仰のさびれて死んだ神社を乗っ取って、その日暮らしを楽しんでいた。
誰も草を刈らぬ、獣さえも通らぬから下草も伸び放題の境内をがさがさ進む。さて我らが頭領はどうしているかと建物の中を覗きこむと、珍しいことにせっせと何か書きものをしていた。字は得意ではないくせに。
「瑠璃様」
声をかける。邪魔ではなかろう。むしろいい気分転換になるはずだ。
もくろみ通り瑠璃と呼ばれた青年は白く長い髪を床に垂らしながら声のした方を向いたし、たった一言「入れ」とも言った。
「では失礼いたしまして」
「うむ。くだんの娘はどうなったか」
「へえ。ひとまず湯あみをさせておりやすが……着物はどうしやしょう。ちいっとあのままの格好では格好がつきやせんぜ」
血と泥と何かの膿に塗れた少女の姿を思い浮かべる。格好もつかないが、なによりこちらが共にあるのが嫌だ。
しかし白い髪の青年はなんだと言わんばかりに大きく欠伸をして、部屋の隅におざなりに置かれた荷物を指した。
「そこな金子を使え。反物の一枚くらい買えるだろう」
この頓着のなさである。青年はふぅと溜息を吐いた。
「金子だってただじゃありませんぜ」
「ああ。だがどのみち人間のものを買うことにしか使えはせぬだろう」
これはどう言っても仕方ないだろう。進言が却下される悲しさを思いながら、青年は金子を拾って立ち上がった。反物を買わねばならない。さてそれをどう設えるかもまた問題のひとつではあった。
「ああ、それとな千草」
出て行こうとした青年を呼び止める声がする。被を被った青年は振り向いて、なんですかいと呆れたように声をかけた。
「間もなく、大村平戸の藩にある狐の御大が代替わりを為すという。筑紫洲を獲るには絶好の潮がやってきたようじゃ」
はっと息を飲む。
「それじゃ」
「うむ。そろそろ打って出る頃合いじゃの」
ついに来るのだ。我らが天下に名を轟かせるための行進が。思わずにやりと口の端を吊り上げる千草を、瑠璃之丞はこん、と扇をもって制した。
「逸るでないぞ。そのためにも、あの娘をきちんと使いものにせねばならぬ」
「買うほどの娘ですかねえ」
「ああ。想いが強ければ強いほど、我らの力になる。畏れられれば畏れられるほど、その霊威は増していく。あの娘はれっきとした山女よ」
今頃里では新しい怪異、人を食らう山女が噂になっている頃合いだろう。さてこの噂話にいかに背びれ尾ひれをつけて泳がせてやるか。
「それならいいんですがね。自分にはどうもぴんと来ないんでさあ。ただの汚れた餓鬼としか」
「さて、使いものになるかどうかはお前の腕にかかっておろうぞ。不知火の蘇芳と共に、子育てに励むがよい」
「やれやれ」
溜息を隠そうともせずに千草は億劫そうに立ち上がり、首を左右に振る。面倒なことになった。金子が入った風呂敷をつまむと、さて反物でも買ってきて誰かに作らせるかと古ぼけた神社を出た。
人の郷まで十里ばかり。ああ面倒だ。夏の陽射しは千草の体力をどんどんと奪って行くし、歩けば歩くだけ足をとる背の高い下草に絡まるのもうっとおしい。いっそ空を飛べたら、と考えて男はふと思いついた。空を飛ばせればいい。
「ああ、そうだその手がありやした」
やたらと大きな独り言を言いながら背に負った巻物を下ろす。普通の巻物といえば両手で捧げ持つ程度の多きさだが、これは違う。抱えてもまだ手から余るほどの巨大さだ。
それを汚れるのも構わず地面にごろんと転がすと、千草はすらすら何かを書き始めた。黒々とした羽、強い鉤爪、凛としたまなざし。
「おいでませ、大鷲よ」
そう言ってぱぁん、と両手を叩くや否や、描かれた墨の大鷲がぶるりと身悶えした。
羽を羽搏かせるように前後に動かして、それが徐々に巻物の紙を突き破らんとする勢いになる。やがて水面に落ちる波紋のようにぽつり、一点が決壊すれば。ぞるんっと生まれ出ずるように巨大な絵の鷲が現世に姿を現した。
「よしよし、よく来てくれましたね」
すっかり墨が抜け出て白紙になった巻物を背負い直し、頭巾を被る男は言う。鷲の嘴を撫でて。
「さ、金子を掴みなせえ。ようく掴むんですよ、落とすんじゃねえですからね。街が見えたら反物屋に行って、いっとう上等な反物を持って帰ってきなさい。金子は包みごと店主に投げ渡して、ね」
男はごく当たり前のように言う。傍から見ればたかが鳥にそんなことできるものかと笑われそうな光景だが、本人は至って真面目な顔だ。
鷲も強く翼を広げ、いかにも理解したと言わんばかりに羽搏きをはじめる。
「いい子です。…さ、いってらっしゃい」
ぴぇ、と鳥はかわいらしく鳴く。首を傾げ、ばさりと空気を叩いて。
大空に舞い上がる絵の鳥を見送って、さてと千草は息を吐いた。湯あみに行ったくだんの娘子はどうなったか。
細い獣道を下り、川のほとりへと向かう。不知火が湯を沸かすと言っていたから、川の中で直接行水をしているわけではなかろう。確かにあれほど溜まった汚れや垢は水で洗い流すには少々骨が折れる。
さくさく小道を歩いていけば、じきに清らかな水気が漂ってきた。人の立ち入らぬ山奥だからか、滔々と流れるだけの水は穢れを溜めこまず流していってしまう。さて二人はどこだ、と辺りを見渡したところでけたたましい女の声。
「信じられませんわ!」
何か厄介事か。うっかり踵を返してしまいそうなのを堪えて、千草はそちらへ足を進める。相変わらずのぼろをまとってはいるが白く滑らかな肌と、血で染め上げたようなあさい緋色の髪を取り戻した少女。それに、燃え上がる炎の橙を身に纏う青年が言い争っている。
「だから、俺様は無実だって言ってるだろ!」
「そんなの信じられませんわ。この姫の柔肌を覗き見たこと、絶対に公開させてやるんですから!」
「見てねえ! 湯を足しにきただけだ!」
きいきい叫ぶふたりにじっとりとした目を向ける。何事だこれは。さっきまで気落ちしていた娘はどこへ行った。
「随分仲良くなりやしたね」
「まあ! 仲良くなったわけじゃありませんわ! この男がわたくしの湯あみを覗いたんですの」
「俺様は沸した湯を持ってきただけだ」
「なんて言い訳くさいんでしょう。お里が知れますわね」
「そっちこそやたら高圧的だな。瑠璃様がこんなのを拾ってきたなんて信じられねーぜ」
ぎゃんぎゃんきゃんきゃん喧嘩するふたりに溜息しか出ない。最早じっとりとした目を抑えられない千草は、ぱんぱん、と手をその場を諫めることにした。
「そこまでにしてくだせえ。見たか見てないかなんてどうでもいいじゃありやせんか。人間じゃあるまいに」
はぁ、と隠しもしない溜息。
「どうでもよくありませんわ!」
「そうだそうだ!」
面倒な。こちらに矛先が向いたのを感じてさっと顔を背ける。仲違いが早いうえに手を組むのも早い。これは後々危険なことになるかもしれない。ふたりで揃って自分を言いくるめにかかる未来が見えるかのようだ。
「それより、湯を使ったら見違えましたね」話題をさっと反らす。女性であれば人間もののけに限らず容姿を褒められれば悪い気はしないはずだ。
「あら、そうですの?」
ころっと機嫌を直した少女は、しかしすぐに顔を曇らせる。服が気に入らないらしい。
「まあわたくしは城下で最も美しいと讃えられた美少女ですもの。どれほど汚れたって、綺麗に磨けばこの通りですわ。着物がこうもぼろぼろなのは気にわないですけれど」
雑巾にもできないほどに汚れて穴が開き、裾がほつれた着物は確かに元の輝きを取り戻した少女には似つかわしくない。
裾に川の水をかけ、絞ると黒い汁が出る。ねっとりとした触り心地に顔を顰めて、今すぐにでも脱いでしまいたいという顔をする。
「一度洗ったんですのよ?でも汚れが落ちきれなくて」
「俺様が乾かしてやったんだがな」
くんくん、と蘇芳が桃華に鼻を近付ける。それを止めてください無粋な男ですこと、などと押しのけるのを見ながら千草はどこか悪戯めいた気持ちを抱いた。
じきに鳥も戻ってくるだろう。新しい反物だ。それを見たふたりの様子を思い描いて、くっくっと笑う。喧騒はまだ遠く、少なくとも彼らと馴れあうだけの時間がある。
事が起きるまでは、もうしばらく。
「瑠璃之丞様にも育てろと言われたことですしねえ」
ひとりごちて彼も笑う。どうしたってにやりとした気味の悪い笑みにしかならなかったけれども。
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