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きつねのよめいり/琥珀:狐

空は青く晴れ渡っている。
日は高く、じりじりと地面を焼きつけるような熱が葵の元気を削いでいた。
それでも足は止めない。霧雨に近い、細かな雫がぱらぱらと晴れ渡った空から降っている。いっそ日を隠してしまうほど厚い雲をここに呼んでしまいたい。水神の葵にとって熱さは何より耐えがたかった。
狐の嫁入り。そう呼ばれるこの天気は、これから始まる儀式を知らせるものである。いくら葵でもそこはわきまえており、故に雲を呼ぶなどという無粋なことはしていないのだが、それでも辛い。
紅輔や翠にでもそう零せば、なら飛んで行けばいい、と言われそうなものだ。しかし葵はいくら水神とはいえ竜ではない。蛇なのだ。地を這うしかできない。
しゃん、しゃん、軽やかな金属の鳴り響く音が遠くから伝わって来る。敷き詰められた石畳が錫色に卯の花の白さを散らして水気にけぶったような色合いを呈していた。
さらさら肌を撫でる水が心地よい。篠笛の長い音、鼓の高い音も次第次第と聞こえてきて、葵は目的地が近いことを知る。
日の光に雫がきらきらと跳ねる。音を追いかけるように歩く。やがて背の高い鳥居が見えた。
かぁ、烏が鳴いた。
石段を踏みしめながら昇る。もう他の者は着いてしまっているだろう。
しゃん、しゃん、鈴の音がする。ぱらぱら雨は降り注ぐ。
神社の境内には長く一対の御座が地べたに敷かれている。その上に向き合って座る多くの者が白地に金をあしらった狐面をつけている。
下座の方に座っている4人ほどは例外に、てんでばらばらの格好をしている。葵と同じ土地神であるが故だった。
「遅くなりまして」
鳥居の上で、また烏がかぁと鳴いた。
この度は肥前一体を治める霊狐の一族が代替わりする、とのことである。次期当主である琥珀が空狐になるのに合わせて代替わりも済ませてしまおうという魂胆らしい。
「よく来てくださいました、葵」
にこりと笑う彼は白い水干を身につけている。いつも好んでいる南蛮被れの洋装ではない。空狐になるだけの素養を備えているという証明のためだろうか、ふっさりとした耳と九本の尾はそのままだ。金色の柔らかそうな毛。
「この度はおめでとうございます」
申し訳程度に頭を下げる。狐面の男がささと進み出て葵を案内する。間も無く音楽が止み、先代と思しき人物が歩み出た。やはり狐面をつけている。
仰々しく何事か書き連ねられた紙を取り出だして太く低い、しゃがれた声で読み上げる。
畏み、畏みて申し上げ候。
先代から当代への代替わりの儀。といえども葵らは立ち合いだけであり、特にすることはない。当代である琥珀に権限を一任するとのこと、彼が空狐となるだけの器を備え、かつこの位を与えるという宣言を聞いているだけである。
真正面には紅輔と孝紫が座っている。紅輔はいかにも退屈そうな顔で、孝紫は相変わらず無表情であるため何を考えているか知れない。
「綺麗だな」
ぽつり、と隣の男が零した。背に大きな翼を携えている。はて、彼の眷属に烏の類があったろうか。
周りの者と同じ狐面に隠れてはいるが、憧憬とも親愛ともつかない感情が滲んだ視線。
確かに琥珀は金の体毛を持つ狐であるから、陽の光に煌めいて美しく輝く。しかし彼の言葉にはそれとは違う意味が含まれているような気になって、葵は顔を顰めた。こういった不明瞭なことを考えるのは苦手なのだ。
暫くつらつらとしゃがれた声が続いて、滞りなく代替わりは済んでしまった。
やれやれ、と溜息を吐く。たまには自分の土地を離れるのもいいが、たったこれだけのためにここまで来るのは骨が折れる。
「少し、いいでしょうか」
相変わらず笑顔を浮かべて、中央に立つ琥珀が口を開いた。
儀が終わり、緩んだ空気が一瞬にして張り詰める。当然だ。当主として初めての言葉であるのだから。
「僕の領土の半分を、彼に」
しゅる、と衣擦れの音をさせて琥珀は指した。黒羽の男。
ざわ、と辺りがざわめいた。当然である。土地神、それも琥珀のような多くの眷属を従える神が自分の領土を分け与えるなど聞いたことはない。
「そんなことして、あいつへーきなのか?」
「琥珀くらい力があれば、問題ないとは思うけど……」
さわさわ声が聞こえる。あいつらも阿呆だ、聞こえないように言えばいいのに。向かいに座る葵の耳にまで届くとは、よっぽど大きな声で話しているらしい。
指された男も予想外だったらしい。思わず立ち上がり、声を張る。
「っ俺は、琥珀から離れるつもりはない!」
「黒ノ介」
ぴしゃりと冷たい声が叩きつけられる。さっと場が静まった。
「あなた、このままでは消えてしまうでしょう」
優しい天狗。親から見放され、人から蔑まれ、人の世に絶望し外道に落ちてなお人を助けようと自分を顧みず力を使い続けている。人から認識されなければ、畏敬でも恐怖でもそこになんらかの感情が抱かれなければ、力は使えば使うだけ枯渇していく。ついには存在すら危ぶまれるというのに。
面をつけていても分かる程に動揺が透けて見えた。どうやらこの男、最初から消滅するつもりだったらしい。
「ふざけないでください」
一同はじっと二人の遣り取りを見つめている。眷属らは最初こそ驚きはしたものの、当主の意見に逆らう気なぞさらさらないようだった。
葵を含めた他の土地神らも特に反対を表明している様子はない。
琥珀が男に歩み寄る。男は特に反応せず、真直ぐ琥珀を向いている。
「あなたはあの日、僕が拾ったんです。勝手に消えることは許しませんよ」
そのまま朱房に手を伸ばす。琥珀の眷属であるという証の狐面が外される。まだ少年とも言える年の頃。
さ、と促されて重い口を開く。
「……わかった」
蒼い目を瞬かせ、羽根を大きく広げた天狗。
「この黒ノ介、確かに土地神の任、請け負わせていただく」
朗々と張り上げられた声に呼応するように、しゃーん、と鈴が鳴り響いた。


「異例中の異例だな」
後始末やら先代の付き添いやら、てんでばらばらに動く眷属らの中で孝紫は琥珀に話しかけた。先程の件である。
「おや、先代を喰い殺して居座った孝紫には言われたくありませんね」
「俺のはよくある話だろう?」
気をつけろ、とぶっきらぼうに言う。
「俺みたいなのはそこかしこにいる……空孤のお前に手を出せない奴が、あいつを狙わないとは限らない」
「言われなくとも」
ふと笑った琥珀の真意は、孝紫には知れなかった。
次:【窃の昏】

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